スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

3月25日、再び宮古。そして、東京。

東京に戻り、再びこちらでの活動がスタートしました。

私が東京にいない間に、物資の最終便が出ていました。最終の第8便です。
岩手県学生会館に残されていた物資を2tトラック1台に積みました。

P3250903.jpg

そして、岩手行きの物資はこれだけではありません。今回は、株式会社NTTデータ様から事務用品やオフィス什器を提供していただきました。4tトラック1台と2トントラック1台に載せました。大がかりの作業だったので10人以上のボランティアの方に手伝っていただきました。ありがとうございました。

 被災地では、「事業を再開したい!」という企業さんが少しずつ立ちあがり始めています。今回頂いた事務用品で、約15の企業の事業再開が支援できます。事務用品を提供していただいた企業さんには本当に感謝申し上げます。ありがとうございました。

そして私は25日の夜に東京着。翌日の26日に開かれた「岩手復興フォーラム」では、基調報告のためにいらっしゃっていた達増拓也岩手県知事にSAVEIWATE東京支部の活動報告書を手渡すことができました。

さて、東京支部が物資を運んでいた時、私は宮古に行ってきました。
宮古には父の実家があります。「鍬ヶ崎」という地区が父の実家。
岩手を代表する観光地、浄土ヶ浜のすぐ近くにある集落です。

鍬ヶ崎には防潮堤がありません。去年の3月11日、津波は無防備なまちを一気に襲いました。津波が到達し、まちを飲みこむ様子はNHK、日テレ、テレビ朝日などで全国に放映されていました。私もNHKでその様子を目の当たりにしました。幼いころから親しんだ街が津波に飲まれていく様子を見て、私は泣き崩れました。

そして、その宮古に最初に行ったのが、ちょうど1年前、去年の3月26日。


その時の様子がこちら。家の上に家が、そのまた上に家が折り重なる、壮絶な光景。自衛隊による捜索がおこなわれていました。
IMGP0267.jpg

そして、5月5日。がれきは少しずつ片づき、
048_20120328110116.jpg

6月11日。建物の基礎だけが残る、殺風景なまちに。
瓦礫撤去後の鍬ヶ崎 002

震災から半年、9月11日の朝。「夏草や つわものどもが 夢のあと」という芭蕉の俳句を思い起こさせる光景。

049_20120328110116.jpg

そして、2012年3月25日、鍬ヶ崎は季節外れの雪でした。
037_20120328110116.jpg

震災から1年と少し。これからの復興の姿は、なかなか見えてきません。
私も高台に立ちながら、様々な思いを巡らせました。しかし、このまちが、10年後、20年後にどんな街になるのか、想像もつきません。

私はこの1年間、父の故郷、宮古に何度も通いました。少しずつ、本当に少しずつ復興に向かう街の姿をこの目で見てきました。これからも私たちはこのまちに寄り添っていく使命があります。

私は残念ながら、盛岡出身の人間です。自分の子供にとっての宮古・鍬ヶ崎は「おじいちゃんの故郷」になってしまいます。「父の故郷」とは場所が持つ重みが違います。それでも、10年後、20年後のある日に、自分の子供とともに、鍬ヶ崎を歩きたい。美しい海をまた見たい、と強く願っています。

私は20代で震災に直面しました。だからこそ、次の世代に震災を語り継いでいく必要があります。自然の猛威、津波の恐ろしさ、そして命の大切さ・・・。この震災から学んだ様々なことを、子どもたち、孫たちに伝えたい。そうすれば、彼らにとっても宮古、鍬ヶ崎が大切な場所になるはずです。



スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

一般社団法人SAVE IWATE東京支部

Author:一般社団法人SAVE IWATE東京支部
2011年10月に設立。復興応援グッズの販売会を中心に、東京から復興支援活動を行っている。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。