スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

3月30日 

3月30日。今日は都内を動きまわりました。

12時からは渋谷でランチ。復興支援に取り組んでいる社会人の方と会食です。
昨日もちょうど気仙沼、大船渡、釜石に足を運んだばかり。ビジネスの視点から見た被災地の現状や、今後の水産加工業の方向性についてアイデアを頂きました。

三陸の海の幸の素晴らしさを評価していただき、「復興支援」だけではなく「素材の良さ」を活かしてもっとPRしていけたらいいのではないか、とアドバイスを頂きました。確かに三陸の海の幸は素晴らしいです。そのおいしさを東京でもっとPRしていきたい!

東京支部では2012年度から、現地の業者さんの商品もどんどん売っていきます。その第一弾が、4月1日(日)に開かれるみらい館大明の「さくらまつり」

ここでは宮古・重茂漁協の「わかめ」をしゃぶしゃぶにしていただきます。
味付けは陸前高田・八木沢商店の「ポン酢」と山田・びはんコーポレーションの「山田の醤油」

「山田の醤油」は100ml入り1本100円で販売します!他にも東北の食と日本酒が大集結!詳細はホームページで!ぜひご来場ください!

みらい館大明ホームページ

午後は、JCN 東日本大震災全国ネットワークの第2回ミーティングに参加してきました。数日前にSAVE IWATE本部からから打診があり、急遽参加。こういうことが出来るのも、東京に拠点があってこそですね。

002_20120330234300.jpg

あまりにいいお天気だったので、周辺を散歩がてらコンビニに向かうと、こんな看板が。

001_20120330234259.jpg

実は千代田区社会福祉協議会の方には以前イベントでお会いしたことがあり、何度かメールをやりとりさせて頂いていました。これにはびっくり。アポイントは取っていなかったのですが、担当者の方にご挨拶に伺いました。東京支部の活動や現地の状況を色々と情報交換。急な訪問にも関わらず受け入れていただいた担当者の方には本当に感謝です。

個人的には、ちよだボランティアセンターが発行する情報マガジン「ボランティア 特別号」が気になりました。区のボランティアセンターとは思えない冊子のデザイン。スペシャルインタビューは、AKBの佐藤すみれさん。岩手県にもいらっしゃっていますね。

007_20120330234258.jpg

さて本題の全体ミーティングでは、被災地で復興支援を行っている団体の発表が行われました。岩手からはいわて連携復興センターの葛巻事務局長がプレゼン。その後、宮城、福島で復興支援を行っている団体のプレゼンが続きます。

004_20120330234259.jpg

全体のテーマが「2年目の被災者・避難者支援の在り方を考える」でしたが、1つのキーワードが「連携」であるように思いました。沿岸部で活動している団体と、それを後方から支援する団体、さらに遠方から支援する首都圏の企業、団体。それらの連携の流れを上手く調整し、コーディネートしていくことが大切だと思います。

特に、福島県の抱える問題は深刻です。多くの方が県外に避難している今、避難者を受け入れている地域、自治体との連携は不可欠です。それをどのようにコーディネートしていけばいいのか、当事者の立場に立って考えていく必要があると思いました。

そしてその後は懇親会。多くの方と名刺交換・情報交換をさせていただきました。中には以前他のイベントでお会いして、偶然「再会」した方も。それから、SAVE IWATEに物資を送りたい!とおっしゃってくださる団体さんもいらっしゃいました!

充実感を得て帰宅。今日は本当に沢山の方とお会いしました。
こうやって自らの足を使い、直接人と会い、そこから新たな活動へと展開させていく。このプロセスは地道なようで一番近道だったりします。今日は1人で参加しましたが、次回は他のメンバーも巻き込んでいきたいですね。

スポンサーサイト

3月25日、再び宮古。そして、東京。

東京に戻り、再びこちらでの活動がスタートしました。

私が東京にいない間に、物資の最終便が出ていました。最終の第8便です。
岩手県学生会館に残されていた物資を2tトラック1台に積みました。

P3250903.jpg

そして、岩手行きの物資はこれだけではありません。今回は、株式会社NTTデータ様から事務用品やオフィス什器を提供していただきました。4tトラック1台と2トントラック1台に載せました。大がかりの作業だったので10人以上のボランティアの方に手伝っていただきました。ありがとうございました。

 被災地では、「事業を再開したい!」という企業さんが少しずつ立ちあがり始めています。今回頂いた事務用品で、約15の企業の事業再開が支援できます。事務用品を提供していただいた企業さんには本当に感謝申し上げます。ありがとうございました。

そして私は25日の夜に東京着。翌日の26日に開かれた「岩手復興フォーラム」では、基調報告のためにいらっしゃっていた達増拓也岩手県知事にSAVEIWATE東京支部の活動報告書を手渡すことができました。

さて、東京支部が物資を運んでいた時、私は宮古に行ってきました。
宮古には父の実家があります。「鍬ヶ崎」という地区が父の実家。
岩手を代表する観光地、浄土ヶ浜のすぐ近くにある集落です。

鍬ヶ崎には防潮堤がありません。去年の3月11日、津波は無防備なまちを一気に襲いました。津波が到達し、まちを飲みこむ様子はNHK、日テレ、テレビ朝日などで全国に放映されていました。私もNHKでその様子を目の当たりにしました。幼いころから親しんだ街が津波に飲まれていく様子を見て、私は泣き崩れました。

そして、その宮古に最初に行ったのが、ちょうど1年前、去年の3月26日。


その時の様子がこちら。家の上に家が、そのまた上に家が折り重なる、壮絶な光景。自衛隊による捜索がおこなわれていました。
IMGP0267.jpg

そして、5月5日。がれきは少しずつ片づき、
048_20120328110116.jpg

6月11日。建物の基礎だけが残る、殺風景なまちに。
瓦礫撤去後の鍬ヶ崎 002

震災から半年、9月11日の朝。「夏草や つわものどもが 夢のあと」という芭蕉の俳句を思い起こさせる光景。

049_20120328110116.jpg

そして、2012年3月25日、鍬ヶ崎は季節外れの雪でした。
037_20120328110116.jpg

震災から1年と少し。これからの復興の姿は、なかなか見えてきません。
私も高台に立ちながら、様々な思いを巡らせました。しかし、このまちが、10年後、20年後にどんな街になるのか、想像もつきません。

私はこの1年間、父の故郷、宮古に何度も通いました。少しずつ、本当に少しずつ復興に向かう街の姿をこの目で見てきました。これからも私たちはこのまちに寄り添っていく使命があります。

私は残念ながら、盛岡出身の人間です。自分の子供にとっての宮古・鍬ヶ崎は「おじいちゃんの故郷」になってしまいます。「父の故郷」とは場所が持つ重みが違います。それでも、10年後、20年後のある日に、自分の子供とともに、鍬ヶ崎を歩きたい。美しい海をまた見たい、と強く願っています。

私は20代で震災に直面しました。だからこそ、次の世代に震災を語り継いでいく必要があります。自然の猛威、津波の恐ろしさ、そして命の大切さ・・・。この震災から学んだ様々なことを、子どもたち、孫たちに伝えたい。そうすれば、彼らにとっても宮古、鍬ヶ崎が大切な場所になるはずです。



ちょうど1年前に、書いたこと。

ご無沙汰しております。佐々木です。

17日から岩手に入り、21日、22日、24日の3日間SAVE IWATEのボランティアを行っていました。
今日が最終日。季節外れの雪が降っていました。

さて、今日はちょうど1年前に書いた文章について書きます。
ちょうど1年前、地元紙・岩手日報の投書欄に、被災地への応援メッセージを書きました。

東日本大震災の発生時、私は東京にいました。
「岩手に帰りたい」と願いつつも、交通手段がありません。東京で出来ることは限られていました。

「何かやりたい」という思いで始めたのが、Twitter上での情報発信でした。3日間で300人以上の方にフォローされました。震災発生時、とにかく「情報」がなかった。テレビやラジオ、ツイッタ―やインターネットで情報をかき集め、夜を徹してツイッタ―に書きこみました。

震災の翌日、3月12日に流した情報の一部を下に載せます。宮古は父の実家があるので、ここだったら土地勘もあります。なので、宮古に絞り情報を発信していました。


【まとめ①】
宮古の情報をまとめました。浸水は市役所を超え、宮古駅、宮古小学校、魚菜市場付近まで。宮古駅~魚菜市場のラインが浸水ラインか。

【まとめ②】
西町、崎山、田鎖、花輪、蟇目、西が丘は大丈夫。鍬ヶ崎は家屋が水没、熊野神社に避難した方は無事。鍬ヶ崎⇒佐原に避難している方も。赤崎、堤防を越えて波が押し寄せる。10集落以上が壊滅的被害。重茂、音部、鍬ヶ崎被害大きい。磯鶏はそれほどでもない。赤前、38人行方不明情報とのテロップあり。

【まとめ③】
つづきです。宮古市マースの2階と3階に15人取り残されているとの情報。自衛隊、救助に向かっているとの情報。築地、家の2階付近まで水がくる。愛宕の下のあたりまでガレキ。

【まとめ④】
11日23:30ごろ、フジ系列のスーパーニュースで愛宕小学校からリポートあり。 愛宕小学校には300人ほどが避難し、自家発電の1つの電燈が着くのみ。道路を通行止めにし、緊急車両しか入れない。津波は3mの堤防を越えて市街地に浸入。山田線の鉄橋、半分ほどが流される。

【まとめ⑤】
【避難先情報】鍬小、二中、山口小学校、高浜小学校、宮古小学校、宮古高校、中央公民館、藤原小学校、愛宕小学校、磯鶏小学校、河南中学、西中、一中、千徳小学校、消防本部に避難しているそうです。

震災から時間が経つにつれて、様々な情報が入るようになり、Twitterでの情報発信の必要性がなくなってきました。次に自分にできることは何だろうか。そこで考えたのが、この岩手日報への投書でした。宮古(みやこ)にかけて385文字で書いた文章。この文章は3月25日の岩手日報朝刊に掲載されました。

~~~
 私は都内の大学に通う大学生です。被災地の皆様に心よりお見舞いを申し上げます。私は盛岡市出身ですが、両親の実家は宮古市。幼い時から親しんだ街が、大変な被害を受けました。
 二十歳でこの災害に直面した意味を、ずっと考えています。私たち若い世代は、これからの岩手を背負っていく者として、大きな使命を与えられていると思います。先輩方の思いを受け継ぎ、復興へ向け行動していくのは、私たちです。そして、命の大切さ、感謝の心、支え合うことの素晴らしさを、自分たちの子どもたちへ、さらには孫たちへと伝えていくのも、私たちです。
 私はこの災害から様々な事を考え、大学卒業後に岩手に戻ると決心しました。大学で学びを深め、岩手に貢献できる人材となって、生涯を復興のために捧げると決意しています。遠く離れていても復興を願う思いは一緒です。被災地の皆様が一日も早く元の生活に戻れることを祈っております。
~~~

 この文章に書かれている思いを原動力にこの1年間考え、行動してきました。今振り返ると、「20歳でこの災害に直面した意味」それを考え続けた1年間だったなあと思います。

 若い我々は、岩手の復興を担う「復興者」です。そして、次の世代に災害の記憶を伝える「伝承者」でもあります。この思いは、1年前から変わりません。私は、若い世代が、復興の過程に具体的に関わっていくことが大切だと考えました。復興に関わる「場」として立ちあげたのが「SAVE IWATE東京支部」でした。

 東京支部の代表として、わずかながらも復興の過程に関わることができました。現地にも何度も足を運ぶことが出来ました。現地の方々の声を聞き、復興について考えることも何度もありました。

 しかし、それでも、自分の中で答えは出ていません。何をもって「復興」と言えるのかが、いまだによくわからないからです。

 もっともっと考えなければならないし、もっともっと行動を起こさなければならない。1年前に書いた文章を読んで、そういう思いが湧いてきました。

明日は、宮古に行ってきます。
















アニキーッ収録②

昨日はあまりに長くなってしまったので、追加で書きます。

アニキーッの収録で1つお話ししたエピソードを書きます。
それは、「みちのくPhoto Caravan」という学生主体の写真展でのことでした。
「みちのくPhoto Caravan」は、昨年の十月から首都圏・関西・九州の各大学を会場に開催されている写真展です。写真が様々な場所を巡り巡る様子はまさに「キャラバン」。私も東大で開催された写真展に運営として関わりました♪

みちのく Photo Caravan ホームページ

青山のギャラリーで3月8日~13日の日程で行われた写真展には、私も1枚写真を出品しました。
それが、山田町で1月9日に撮ったこの1枚でした。
115.jpg

この写真は、手前の焼け焦げた2本の木と、青空のコントラストを意識して撮影しました。山田町、大槌町、宮城県の気仙沼では津波の後大規模な火災がありました。震災後、山田町に入った父は、黒こげた町の風景が印象的だったそうです。でも瓦礫が片づいてしまうと、火災があったことも分からなくなってしまう。かろうじて火災があったことを伝える2本の木を、写真におさめたいと思いました。

この写真が写真展で展示されたのですが、運営に携わる友人が、次のようなメールを私に送ってくれました。

~~~
写真提供していただいて、ありがとうございます。
青山のギャラリーにて、山田町の一枚だけですが「今の被災地」として展示させていただいてます。
そこでのエピソードを一つ。

昨日(3月11日)の14:30頃、青山のギャラリーに幼稚園~小学校低学年くらいの子供が何人かきました。

話聞いてみると、その子たちは岩手の山田町出身のようでした。

その子は14:46に山田町の写真の前で手を合わせ、お祈りをしていました。



さらに、メッセージボード用のポストイットを見て「お手紙を書きたい!」と言い出し、

まだ平仮名も書けなかったりするのに一生懸命書いてくれました。

そしてどうしても山田町の写真にそのポストイットを貼りたいと言うので写真の下にポストイットを貼りました。

その子は帰るときに「山田町にお祈りできて、お手紙書けてよかった」とすごく満足げ(この表現が正しいかは疑問)に帰っていきました。

その子のお父さんも「学生ががんばってくれてるのはうれしいから、今後もがんばってね」と言ってくれました。
~~~

その時、私の写真に貼ってくれたポストイットがこちら。
DSC_0033.jpg

この写真を見て、胸が熱くなりました。
字をかけるか、書けないかという子どもたちが、一生懸命メッセージを書いている。
「いなかはなあんにもない」という言葉も、胸に突き刺さります。

こんなに小さい子供たちが、自分の故郷・山田に対して強い愛着を感じている。
それは、3月11日の震災発生時刻に、山田町の写真に向かってお祈りをした行動にあらわれています。

子どもたちは東京に避難してきているのでしょうか。周りに友達は居るのでしょうか。山田町を離れて、さびしい思いをしていないでしょうか。まちの復興には、まだまだ長い時間がかかります。彼らはいつ、山田町に戻ることが出来るのでしょうか。

子どもたちも不安や寂しさを感じているでしょう。
それでも、私が撮った写真が、彼らの心に数分間でも安らぎを与えていたのなら、それを素直に嬉しく思います。

ちょっとしたことなのかもしれませんが、これこそが、「東京だからこそ、できること」なのだと思います。
そして、東京にいる岩手出身の皆さんに、希望を与えることが、私の「役割」でもあります。

1月9日の山田の空は、抜けるような青空でした。最後はその時に撮った写真を何枚か載せます。

105.jpg

106.jpg

116.jpg














3月17日「アニキ―ッ」収録

今日はめんこいテレビ「アニキーッ」の収録に、岩手県山田町に向かいます。

11時に盛岡を出発し、いざ山田町へ。
途中、昼食は宮古で。

幼いころ(5歳くらい)から通っている「ぴかいち亭」のラーメンを頂きます。
あっさり目の煮干しだしに細麺。「宮古らーめん」のスタイルです。
001_20120318190145.jpg

これが旨い。チャーシューがまた旨いんです。
自分がアルバイトをしている「山手らーめん」はこってり系の豚骨スープですが、
自分の中では宮古らーめんが一番。

懐かしい味に嬉しくなったところで、会場の山田町中央公民館へ。あいにくの雨。
会場では「山田がんばっぺし祭り」が開かれていました。
002_20120318190144.jpg

会場は大ホール。大がかりなセットが組まれています。今日は、ここで若者10人が「復興」をテーマに
語り合います。
004_20120318190144.jpg


その後控室でしばし待機。フリップボード・ネームプレートの記入を済ませ、台本を受け取ります。


台本を読みながら、気づいたことが1つ。
「復興」をテーマに語り合う出演者11人の出身地を眺めると・・・。
大槌、山田、山田、山田、陸前高田、田野畑、大船渡、宮古、東松島、いわき、そして盛岡。
もちろん、盛岡出身は私。私以外はみな東北沿岸の出身。

ブログで何度か書いているように、私の父は宮古市の出身です。私も体の半分くらいは沿岸出身、といっても
いいわけですが、内陸の出身であることに変わりはありません。しかも、今住んでいるのは東京。

沿岸出身の方の中で、私は本当に現実をとらえられているのか。どんな立ち位置で、何を語ればいいのか。
1時間くらい、そんな考えが頭を駆け巡ります。そんなこんなで直前の打ち合わせを済ませ、スタンバイ。


考えに考え、3つのことを大切にして収録にのぞもうと思いました。


1つ目は、とにかく沿岸出身の方に、しゃべりたいことをしゃべってもらおう、ということです。
沿岸の方々は、私の何倍も、いや何十倍、何百倍も「故郷を何とかしたい」という思いを持っているはず。
その思いを軸にして、番組を進めていければいい。自分は後からしゃべればいいだろう。実際、私は出演者の中で最後にコメントをしました。2つ目は「内陸出身者として何ができるのか」を語り、岩手県全体で「復興」を考えていく必要がある、と伝えること。最後は、いま東京で取り組んでいる活動を伝え、「東京から岩手を応援している」というメッセージを視聴者の方々に伝えることでした。討論の視野を「沿岸」から「内陸」そして「東京」に広げていこうと思いました。
013_20120318190144.jpg

いよいよ収録。1時間半、ストップなしで行われました。内容は放送を見てのお楽しみですが、沿岸の方のメッセージは非常に重みを持っていました。語り口は静かなのですが、内に秘めた情熱を感じました。その姿は、震災から1年が経過し、少しずつ、本当に一歩ずつ立ちあがる街の姿と重なりあいました。
私は、当初考えたように、「内陸」そして「東京」という視点から岩手の復興を語りました。





その収録から、1日が経ちました。
そして、1つ気づかされたことがあります。それは、「復興」にあたり、自分の役割とは一体何だろう、ということです。

この1年間、「岩手のどこ出身なの?」と聞かれた時、私は「盛岡です」と答えていました。
そして必ず、こう付け加えていました。

「父は宮古出身なんですよね。」

それは、沿岸との縁を強調し、被災した地域や被災した人たちに寄り添おうとする姿勢の表れだったのだと思います。
しかし、今回の収録で考え方が変わりました。「内陸出身」という自分をもう一度見つめ直した方がいい、と。

沿岸出身の方には、沿岸出身の方の役割があって、内陸出身の自分にはまた別の役割がある。
沿岸との縁を大切にしつつも、「内陸出身の自分だからこそできること」を探した方がいいのではないだろうか。

自分自身の役割を見つめ直さないといけない。

20代で震災に直面した者として。
東京で大学に通う者として。
そして、盛岡で生まれ育った者として。

震災に対して個人が果たす役割は人それぞれです。そこには、「差異」や「違い」があって当然です。
その「差異」や「違い」を認識したうえで、復興を考えていく。そして、1つずつ行動に移していく。

果たすべき役割は人それぞれ。言ってみればばらばら。それでも、自分が果たすべき役割の中で、やるべきことを
やっていく。そして矢印がだんだん1つになっていく。一見ばらばらに見えるけど、むいている方向は同じ。
実はそれが、「ともに」という言葉の本質なのかもしれません。

じゃあ、自分が果たすべき役割は、何か。
それは、「コーディネーター」になることだと確信しています。

復興を目指す沿岸では、様々な動きが芽生えています。
若い世代が、様々なプロジェクトを立ち上げ、団体を設立し、自分たちの故郷を取り戻すために、動いています。

一方で、外部から様々な企業、NPO、大学教授、そして学生が復興をサポートするべく、現地に入っています。
様々な場所で、ワサワサとうごめく動き。その動きをまとめ上げ、調整し、障壁を取り払い、1つの大きな、大きな流れにしていく。
人と人、地域と地域をつなげ、そして新たな動きを生み出す。もちろん、沿岸の方との対話を忘れない。現場の実情を理解したうえで、行動に移していく。そして、立ちあがろうとする沿岸の皆さんをどんどん応援していく。自分は前面に出なくてもいい。後ろからバックアップしていければそれでいい。

それが、自分に課せられた役割です。
内陸出身者としての役割です。
東京という一歩引いた場所で暮らす自分の役割です。

そういえば、これって今日の「アニキーッ」の役割と一緒だよな・・・。この番組に出演できて、本当に良かったとおもいます。どんな番組になるのか。今から楽しみです。東京の方は残念ながら見られませんが、岩手のみなさん、よろしくお願いします!

放送は、岩手めんこいテレビで3月31日(土)15:30~16:30!

3月16日 今日から盛岡!

こんにちは。今日はお昼すぎに池袋で行われている「軌跡の道」展に行ってきました。

こちらでは、SAVE IWATE東京支部の展示もさせていただいております。2月のえんがわ市に「軌跡の道」展の担当者さんがいらっしゃったことが縁となり、展示が決まりました!

こんな感じで、復興ぞうきんが並んでいます。
001_20120316204236.jpg

岩手から特別に持ってきた「十二支」の復興ぞうきんも並んでいます。活動報告書や活動パンフレットも読めるようになっていました。
SAVE IWATE以外にも、全体として東日本大震災をテーマにしており、釜石の震災後の写真や、南三陸町の津波の様子を写した動画、被災地に向けて書かれた絵ハガキなどが展示されていました。

3月24日まで、池袋北口のアトリエ・ベムスターで開催されています。時間は12時~22時30分で火曜日が定休です。
「軌跡の道」 ホームページ
002_20120316204235.jpg

その後は新幹線でビューンと岩手へ。
003_20120316204235.jpg

番屋の1階はリニューアルし、被災者の方々が集えるサロンに生まれ変わりました!
005_20120316204234.jpg

ちなみに以前はこんな感じ。(逆側からの撮影です)
076.jpg


交流スペースへとリニューアルを目指す番屋。2階にはさらにカラオケセットが運び込まれました。ちょうど帰省中の東京支部の毛利さんと一緒に組み立てます。
007_20120316204233.jpg

とりあえず試運転ということで、千昌夫さんの「北国の春」を歌ったら97点をたたき出しました!色々な方に楽しんでいただけるといいですね。
014_20120316204246.jpg

今日から25日まで岩手に滞在し、明日は山田へ。こちらも少しずつ寒さが和らいできました。明日からも、岩手の今をお伝えします。

3月14日 日本橋高島屋「大いわて展」

今日は日本橋高島屋で開かれている「大いわて展」の販売のお手伝いにやってきました。

005_20120315233356.jpg

県内の各商店、企業さんがたくさん出店していてにぎやか。
「小岩井農場」、冷麺の「ぴょんぴょん舎」、海宝漬の「中村家」、蜂蜜の「藤原養蜂場」、紫根染の「草紫堂」・・・などなど、「大いわて展」にふさわしい出店数。

006_20120315233355.jpg

SAVE IWATEの商品は、NPO法人 遠野まごころネットさんのブースに置かせていただいています。私もこちらのブースをお手伝い。

008_20120315233355.jpg

SAVE IWATEからは、復興ぞうきん、三陸の和ぐるみを使ったキーホルダー、三陸復興カレンダー、そして手ぬぐいが出品。復興ぞうきんは30個限定ということで2日目にして完売!さらに、初の販売となった和ぐるみキーホルダーも見事、完売となりました!

011_20120315233355.jpg

また、SAVE IWATE東京支部のパンフレットや、被災された方の生の声をまとめた「番屋日報」をお配りし、活動をPR。結構みなさん取っていかれるのでありがたいですね。
012_20120315233354.jpg

「大いわて展」は20日まで、日本橋高島屋で開かれています。時間は10時~20時(最終日のみ18時まで)です!

そして明日からまたまた岩手に戻ります!早速17日はめんこいテレビ「アニキーッ」に出演、山田町で公開収録です!公開収録ということで、被災された方々の前で直接お話しする機会を与えていただいたことになります。そして県民の皆様に、私の言葉を届けることになります。「東京から応援している」ということを皆さんにお伝えしてきたいと思います。


岩手めんこいテレビ「アニキーッ」 ホームページ

3月11日 復興支援えんがわ市

2012年3月11日。
震災からちょうど1年の節目となるこの日。私たちは豊島区池袋第2公園で行われている「えんがわ市」に出店しました。

今日の東京は晴天。いつものえんがわ市よりも多くの来場がありました。
004_20120312090338.jpg

NPO法人ささえ手さんは、三陸の和ぐるみを使ったケーキを作ってきてくださいました。
002_20120312090338.jpg

今日のメインは復興ぞうきんやクルミの販売なのですが、震災から1年に合わせて様々な企画が行われました。
007_20120312090338.jpg

日立システムズさんと連携した、被災地に向けたインタビュー動画の撮影。
008_20120312090338.jpg

こちらも日立システムズさんによるワンセグ動画配信です。宮古市の菱屋酒造さんの再建ストーリー。菱屋酒造さんは父の実家のすぐそばの酒蔵です。

009_20120312090338.jpg

さらに、劇団ムジカフォンテさんによる青空公演! 劇団ムジカフォンテさんは来週「オズの魔法使い」の公演があるのですが、そこではSAVE IWATE東京支部のパンフレットを来場者全員に配っていただけるそうです。本当にありがとうございます。
劇団ムジカフォンテ ホームページ

016_20120312090338.jpg

午後になると、復興たんざくも沢山集まってきました。
019_20120312090420.jpg

間もなく東日本大震災の発災時刻。
2時30分からは、南三陸町でボランティアを行う、伊豆市公認サークル「Size」とスカイプをつなぎます。

Sizeは3月11日に合わせ、250人規模のボランティアツアーを企画しました。学生が中心となり、伊豆市と連携をしながら何度もボランティアツアーを企画してきました。

028_20120312090420.jpg

Sizeの大塚君からのメッセージに、真剣に耳を傾けるみなさん。この後会場からは拍手が沸き起こり、スカイプを通して南三陸町に届けられました。

029_20120312090420.jpg

そして、2時46分には全員で黙とうをささげます。
みなさんで手をつないで公園を一周。そして1分間の黙とうを捧げます。
今回はNPO法人遠野まごごろネットさんの企画「つながれ地球プロジェクト」に私たちも参加しました。
つながれ地球プロジェクト
040.jpg

そして、メインの販売の方も、復興ぞうきん68枚、むきグルミ15個が完売!えんがわ市にはこれで4回目の参加ですが、過去最高の売り上げを達成しました!本当にありがとうございました。
045.jpg

それから、実はこのえんがわ市の裏でもう1つ販売会が開かれていました。
中野サンプラザ前広場で行われていた「岩手県×中野 3.11メモリアルセレモニー 再起への絆」に出店しました。僕は最初しか行けなかったのですが、オープニングセレモニーに来ていた「そばっち」と記念撮影。

008_20120312090547.jpg

外テントでの販売になったので、雨だった10日は本当に寒かった・・・。
それでも2日間でむきグルミ100、殻付きクルミ40を売り上げました!本当にありがとうございました!

015_20120312090546.jpg

私にとっても、SAVE IWATE東京支部にとっても、この2日間は本当に特別な2日間でした。
たくさんのボランティアの方が、「自分も関わりたい」と参加を申し出てくれました。特にも自分の高校の同級生が10人以上も一緒に活動してくれました。

1分間の黙とうは、とても長く感じられました。
この1年間、何が出来たのか。
そしてこの1年間、何が出来なかったのか。
そんなことを考えながら、1分間の黙とうを捧げました。

 ちょうど1年前、3月25日に地元紙、岩手日報の投書に寄稿した文章が残っていました。第二の故郷・宮古を思い、385字で寄稿した文章です。「生涯を岩手の復興に捧げる」という決意が、この1年間の原動力でした。この情熱を失わず、一歩ずつ進んでいこうと思います。


 私は都内の大学に通う大学生です。被災地の皆様に心よりお見舞いを申し上げます。私は盛岡市出身ですが、両親の実家は宮古市。幼い時から親しんだ街が、大変な被害を受けました。
 二十歳でこの災害に直面した意味を、ずっと考えています。私たち若い世代は、これからの岩手を背負っていく者として、大きな使命を与えられていると思います。先輩方の思いを受け継ぎ、復興へ向け行動していくのは、私たちです。そして、命の大切さ、感謝の心、支え合うことの素晴らしさを、自分たちの子どもたちへ、さらには孫たちへと伝えていくのも、私たちです。
 私はこの災害から様々な事を考え、大学卒業後に岩手に戻ると決心しました。大学で学びを深め、岩手に貢献できる人材となって、生涯を復興のために捧げると決意しています。遠く離れていても復興を願う思いは一緒です。被災地の皆様が一日も早く元の生活に戻れることを祈っております。




3月9日 豊島区長表敬訪問

3月9日、今日は豊島区の高野之夫区長を表敬訪問しました。

ご存じだとは思いますが、東京支部と豊島区の結びつきは非常に強く、豊島区なしには私たちの活動は成り立っておりません。そもそもの発端は、私が東京支部を立ちあげた時に、「支援しやすい方のところに情報を届ければ、物資は自然と集まるはずだ」と思いついたことでした。

岩手県学生会館は、豊島区の要町にあります。そこで、団体を立ち上げてはじめに行ったのが、周辺の皆さんに対する物資募集の案内でした。近くの図書館や公民館、スーパーなどにビラを貼り、地域のバザーでもPR。東京全体に集中するのではなく、豊島区に密着した支援活動を目指しました。

結果、としまNPO推進協議会とは何度もイベントを開催し、豊島区社会福祉協議会からは復興ぞうきんのタオルを何箱も頂きました。もちろん多くの区民の皆様からも物資をお受け取りしました。このような経緯がありましたので、区長にお礼の言葉を申し上げたい、と思い、今回の会が実現しました。区長はお忙しい中では有りましたが、お時間を取っていただき、私たちの活動を熱心に聞いてくださいました。

「復興ぞうきん」をお渡しすると、その場で2枚購入してくださいました!ありがとうございます。
今後も豊島区との連携についても前向きなお答えを頂き、今後さらに活動が広がっていきそうです。

そして、記念撮影!
003_20120310183842.jpg

さらに、区長からこちらの本を頂きました。
016_20120310183842.jpg

サインまで頂戴しました。ありがとうございます。
017_20120310183841.jpg

教育学部で社会教育を学び、まちづくりにとても興味を持っている私にとっても、非常に興味深い本ですね。じっくりと読みたいと思います。

SAVE IWATE東京支部が半年間、活動を継続できた理由の1つは、「豊島区と一緒に支援をしていこう」と思いついたことです。そして、それ以上に、豊島区というまちが素晴らしく、区民のみなさまに協力を頂いたことです。
本当に感謝です。

さて、明日は震災から1年。明日は第2日曜日ということで、「えんがわ市」の日でもあります。

沢山の団体のご協力を頂き、様々な企画が用意されています。豊島区から東北へ、思いを届けたいと思います。みなさま、ぜひご来場ください。
431431_260084200737550_100002079157920_557618_546077519_n.jpg

3月6日 第7便発送!

本日は、第7便の発送作業です。東京は春か?と思わせるほどのポカポカ陽気。

家具、ベッド、椅子等、今日も大物の物資が並びます。
002_20120306161924.jpg


さらに、昨日雨の中引き取ったしりあがり寿先生の「ボランティア顔だしパネル」も積み込みます。この作品は先週まで国立新美術館で開催されていた文化庁メディア芸術祭で展示されていたそうです。
006_20120306161924.jpg

最初はスムーズに積み込めたのですが・・・。
007_20120306161924.jpg


後半は色んな形の物資を積み込むことになるためパズルのようにはめ込んでいきます。
009_20120306161924.jpg

何とか、かんとか頭をひねって積み込み完了!ものすごく無理して積み込んだのが分かりますね・・・笑
011_20120306161924.jpg

さて、11月16日に第1便を発送してから、4か月半で7回物資を出すことが出来ました。東京支部では3月15日に物資の収集を一端打ち切ります。岩手県学生会館に新入生が入居するためです。そのため、大規模な物資便は今回が事実上最後となりました。

最初はゼロからのスタートになりましたが、これまで、170人以上の方から物資をお預かりし、岩手に向けて皆さんのお気持ちを届けることができました。本当に感謝を申し上げます。これからは、被災地応援グッズの販売が主な活動になります。販売を通して被災地の情報を発信し、継続的な支援を呼び掛けていきたいと思っております。

3月3日&4日 販売会

久々の更新になりました。今日は3月3日と4日に行われた出張販売について報告します!

3月3日は、神奈川の大倉山にある「ギャラリーカフェ 夢うさぎ」さんにて販売会を行いました。
ギャラリーカフェ夢うさぎ ホームページ
001_20120304200419.jpg

ちょうど編み物教室が行われていたので、東京支部の活動をお話。おいしいカレーも頂きました。みなさん編み物をされていらっしゃるので、復興ぞうきんには非常に興味を持っていただきました。ハンドメイドのものを今後どのように販売していったらよいのか、貴重なアドバイスを沢山頂きました。本当に感謝です。

002_20120304200419.jpg

そして3月4日は再び神奈川は相模原へ。
淵野辺駅前の大野北公民館で行われた「大野北ふれあいフェスタ」に出店します。
020_20120304200419.jpg

ここにはスペシャルゲストとして、往年の大歌手・菅原都々子さんがいらっしゃっていました。62回を数える「NHK紅白歌合戦」のトップバッターです。今年でなんと85歳。今もボランティアで様々な場所を巡られ、歌い続けています。

さて、私が復興ぞうきん作りをお手伝いした時、復興ぞうきんの縫い手さんに「菅原都々子さんって知っていますか?」と聞くと、全員が「知っている」とおっしゃっていました。

それなら、復興ぞうきんを菅原さんに手渡せば、きっと復興ぞうきんの縫い手さんも喜ぶと考えたのです。事前に主催者の方にお願いしてみると、快く引き受けてくださいました。そこでステージの前に控室に伺い、菅原さんに復興ぞうきんを手渡しました。

すると、ぞうきんを受け取った菅原さんは、涙ぐんでいました。そして、「縫い手さんにも手紙を書きたい」とおっしゃってくださいました。本当にありがたいことです。最後に、代表作「月がとっても青いから」と書かれた色紙をくださいました。菅原さんの写真とともに、早速岩手にお送りする予定です。

そして10時、お祭りがスタート。
相模原市は大船渡市と姉妹都市ということで、「復興ぞうきん」も大船渡の方が作ったものを多めに持参しました。

010_20120304200419.jpg

菅原さんのステージは超満員です!

017_20120304200419.jpg

そして、本日の東京支部のメンバー。
左から、大船渡生まれで私の高校大学の同級生の千田さん、私、2月に大船渡・大槌でボランティアを行った後輩の清水君、そして大船渡の北里大三陸キャンパスに通っていた片寄くん。まさに大船渡を応援するにふさわしいメンバーがそろいました。それから、写真には映っていないのですが、私の大学の同級生で相模原市に住む竹森さんが、東京支部のことを主催者の方に伝えてくれ、出店が実現しました!

030_20120304200444.jpg

今日も続々復興ぞうきんが売れていきます。
015_20120304200419.jpg

13時からは、大船渡市に派遣された相模原市の職員の方々が、その時の体験について報告してくださいました。
026_20120304200445.jpg

最後には、東京支部の活動をPRさせていただき、その後会場の後ろで販売すると、長蛇の列が!
027_20120304200444.jpg

大船渡出身の方や大船渡にボランティアに行かれた方も復興ぞうきんを買ってくださいました。大船渡の方が縫われたものを沢山持っていってよかった!

そして、今日は復興ぞうきん85枚、クルミ20パックを売ることができました!ちなみに復興ぞうきん85枚は過去最高記録でした!こうやってちょっと遠くに出掛けて売ってみると、支援の輪が広がっていくようでいいですね。

販売会終了後、要町の岩手県学生会館に戻り、ちょっと作業。
これまで物資を送っていただいた方お1人お1人にお礼のおハガキを出します。東京支部での物資の募集は3月15日で一端打ち切るので、感謝の思いを込めてお送りしました。最後まで手伝ってくれた2人には感謝です!

031_20120304200444.jpg


プロフィール

一般社団法人SAVE IWATE東京支部

Author:一般社団法人SAVE IWATE東京支部
2011年10月に設立。復興応援グッズの販売会を中心に、東京から復興支援活動を行っている。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。