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SAVE IWATE感謝祭!

こんにちは。最近は更新が滞ってしまい、申し訳ないです・・・。
報告が遅れ申し訳ないのですが、11月は

11月3日~4日 農林漁業学園(丸の内仲通り)
11月11日 えんがわ市(池袋第2公園)
11月18日 区民ひろば朋友祭り(東池袋・区民ひろば朋友)に参加させていただきました。

宮古の水産加工会社さんから仕入れられる商品が増え、「サケフライ」と「サンマのみりん漬け」を扱い始めました。今後も色々なことに挑戦していきたいと思っています。

そして、現在私は岩手に戻っております。11月23日は、SAVE IWATE全体で、「SAVE IWATE感謝祭」というお祭りを企画しました。このお祭りは、日ごろ支援活動でお世話になっている盛岡市の皆様に感謝するとともに、盛岡にいらっしゃっている被災者のみなさまに楽しんで頂こう!と企画したものです。

あいにくの雨が心配されたのですが、天気も何とか持ち、多くの方々に楽しんでいただきました。本当にありがとうございました。このような企画を行ったのは初めてですが、ぜひ継続的に行っていきたいと思います。

以下、当日の写真です!

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10月24日 復興教育授業

再び岩手に来ています。佐々木です。

今回は卒業論文の調査と、岩泉町の小中学校での「復興授業」のために帰省しています。

訪れたのは、岩手県岩泉町の有芸小中学校。
自然に囲まれた山村の、小さな学校です。

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ここで、小学校3年生から中学校3年生までの8人に授業を行います。
タイトルは、「SAVE IWATEの復興支援活動」
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岩泉町は一部が津波の被害を受けていますが、ここは内陸。被災した地域の現状もなかなか分からない・・・ということを先生から伺っていました。

そこで、まずは私が取りためた宮古市の写真を使い説明。同じ場所から取った写真を子どもたちに見てもらい、その変化を実感してもらいました。使ったのは、2011年3月、6月、9月、そして2012年8月の写真がれきが片づけられ、少しずつ建物が建ってきたこと。そして商店は再開しているものの、住宅はほとんど建てられていないことを伝えました。

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話ばかりでは飽きるかなあ、と思い、SAVE IWATEの「復興ぞうきん」を見てもらいました。
材料を届けてくださる全国の支援者、発送や会計を行うボランティアのみなさん、そして東京支部をはじめとする販売者・・・。様々な繋がりが復興ぞうきんを支えていることを伝えました。

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 45分間の講演の後は、中学3年生との座談会。復興支援の話題に加え、勉強方法や大学の話も。

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 社会人のみなさんや高校生の前ではお話したことがありますが、小中学生の前でお話するのは初めてでした。「へえ~」や「すごいね」など、素直に反応が返ってくるのが嬉しかったです。
 初めての経験で、なかなか伝えられなかったこともあるかもしれませんが、色々なつながりのなかで復興が進んでいることに、少しでも気付いてもらえたら嬉しいです。それでは、週末は東京に戻ります。

5月10日 今日から岩手。

昨日の午後、東京を出て岩手に向かいます。

今回はボランティア・・・ではなく、卒業論文のヒアリングと「東北まちづくりオフサイトミーティング」への参加が目的。
卒業論文では岩手県で震災後にスタートした「いわての復興教育」をテーマにする予定です。
大切にしたいのは現場の声。ということでなるべく早く岩手でヒアリングを行おうと考えていました。東北の自治体のみなさんの勉強会「東北まちづくりオフサイトミーティング」とうまく日程が重なったのでそちらにも参加することに。

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早速朝10時から岩手県庁に伺い、岩手県教育委員会の方にヒアリング・・・。と思ったらテレビカメラが沢山。

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タスキには「みちのくひろし」の文字。
誰だ?

あ!「みぞはたひろし」だ!
溝畑宏 前観光庁長官だ!

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溝畑さんは大分トリニータの社長として手腕を振るったことでも有名ですね。東北を自転車で旅しているのは知っていましたがまさか遭遇するとは。溝畑さんの旅日記はこちらに。
みちのくひろし旅

岩手県教育委員会の方へのヒアリングを終え、SAVE IWATEの拠点、もりおか復興支援センターへ。
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3月11日に豊島区のみなさんに書いていただいた「復興たんざく」もしっかりと掲示されています。
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お昼は盛岡に帰ったらかならず頂く白龍のじゃじゃ麺。旨い!
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で、午後はと言うと、World Harmony Runのランナーとして走ることに。
午前中に岩手県教育委員会を訪れた際、高校時代の恩師に「敦斗午後暇?」と言われたため急遽ランナーとして走ることに決定。

World Harmony Run ホームページ

賛同者にはネルソン・マンデラやゴルバチョフ書記長、「皇帝」ハイレ・ゲブラシラシエやカール・ルイス、モハメド・アリなどものすごいメンバーが。

そんなものすごいイベントならば!「どうにかするぞ」前掛けをつけて走るぞ!
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ランナーはセルビア、チェコ、ロシア、ブラジル、シンガポールなどから集まっていました。昨日仙台をスタートし、石巻を回って県内を北上。今日は宮古から100キロ(しかも山越え)を8時間かけて走破。しばし私も英語で談笑。被災地の惨状には心を痛めていたそうですが、日本人の忍耐強さ、優しさ、助け合う心を褒め称えていました。

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聖火をつけたトーチを先頭に盛岡八幡宮をスタート。盛岡バスセンター前にて。
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中津川を通過。bjリーグの岩手ビックブルズのメンバーとともに走ります。
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SAVE IWATEの拠点、もりおか復興支援センター前を通過し、盛岡市役所前。
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県庁では菅野教育長を始め、岩手県職員の皆様、県民の皆様、そして不来方高校の音楽部の皆さんがお出迎え~。

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セレモニー中。
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動画で見るとこんな感じ。
セレモニーの様子

その後は不来方高校の合唱が披露されました。「I believe」「上を向いて歩こう」「空より高く」「Tomorrow」「アメイジング・グレイス」などを披露しました。何しろ全国大会に何度も何度も出場している音楽部ですから、とても素晴らしかったですね!肌寒い中でしたが、ありがとうございました!

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午前中は岩手県庁前で溝畑前観光庁長官を出迎え、午後は同じ場所でランナーとして出迎えられる、という何とも不思議な一日でした。最後はお世話になった岩手県庁前で一枚。

どうにかするぞ、30年後の岩手!

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3月25日、再び宮古。そして、東京。

東京に戻り、再びこちらでの活動がスタートしました。

私が東京にいない間に、物資の最終便が出ていました。最終の第8便です。
岩手県学生会館に残されていた物資を2tトラック1台に積みました。

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そして、岩手行きの物資はこれだけではありません。今回は、株式会社NTTデータ様から事務用品やオフィス什器を提供していただきました。4tトラック1台と2トントラック1台に載せました。大がかりの作業だったので10人以上のボランティアの方に手伝っていただきました。ありがとうございました。

 被災地では、「事業を再開したい!」という企業さんが少しずつ立ちあがり始めています。今回頂いた事務用品で、約15の企業の事業再開が支援できます。事務用品を提供していただいた企業さんには本当に感謝申し上げます。ありがとうございました。

そして私は25日の夜に東京着。翌日の26日に開かれた「岩手復興フォーラム」では、基調報告のためにいらっしゃっていた達増拓也岩手県知事にSAVEIWATE東京支部の活動報告書を手渡すことができました。

さて、東京支部が物資を運んでいた時、私は宮古に行ってきました。
宮古には父の実家があります。「鍬ヶ崎」という地区が父の実家。
岩手を代表する観光地、浄土ヶ浜のすぐ近くにある集落です。

鍬ヶ崎には防潮堤がありません。去年の3月11日、津波は無防備なまちを一気に襲いました。津波が到達し、まちを飲みこむ様子はNHK、日テレ、テレビ朝日などで全国に放映されていました。私もNHKでその様子を目の当たりにしました。幼いころから親しんだ街が津波に飲まれていく様子を見て、私は泣き崩れました。

そして、その宮古に最初に行ったのが、ちょうど1年前、去年の3月26日。


その時の様子がこちら。家の上に家が、そのまた上に家が折り重なる、壮絶な光景。自衛隊による捜索がおこなわれていました。
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そして、5月5日。がれきは少しずつ片づき、
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6月11日。建物の基礎だけが残る、殺風景なまちに。
瓦礫撤去後の鍬ヶ崎 002

震災から半年、9月11日の朝。「夏草や つわものどもが 夢のあと」という芭蕉の俳句を思い起こさせる光景。

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そして、2012年3月25日、鍬ヶ崎は季節外れの雪でした。
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震災から1年と少し。これからの復興の姿は、なかなか見えてきません。
私も高台に立ちながら、様々な思いを巡らせました。しかし、このまちが、10年後、20年後にどんな街になるのか、想像もつきません。

私はこの1年間、父の故郷、宮古に何度も通いました。少しずつ、本当に少しずつ復興に向かう街の姿をこの目で見てきました。これからも私たちはこのまちに寄り添っていく使命があります。

私は残念ながら、盛岡出身の人間です。自分の子供にとっての宮古・鍬ヶ崎は「おじいちゃんの故郷」になってしまいます。「父の故郷」とは場所が持つ重みが違います。それでも、10年後、20年後のある日に、自分の子供とともに、鍬ヶ崎を歩きたい。美しい海をまた見たい、と強く願っています。

私は20代で震災に直面しました。だからこそ、次の世代に震災を語り継いでいく必要があります。自然の猛威、津波の恐ろしさ、そして命の大切さ・・・。この震災から学んだ様々なことを、子どもたち、孫たちに伝えたい。そうすれば、彼らにとっても宮古、鍬ヶ崎が大切な場所になるはずです。



アニキーッ収録②

昨日はあまりに長くなってしまったので、追加で書きます。

アニキーッの収録で1つお話ししたエピソードを書きます。
それは、「みちのくPhoto Caravan」という学生主体の写真展でのことでした。
「みちのくPhoto Caravan」は、昨年の十月から首都圏・関西・九州の各大学を会場に開催されている写真展です。写真が様々な場所を巡り巡る様子はまさに「キャラバン」。私も東大で開催された写真展に運営として関わりました♪

みちのく Photo Caravan ホームページ

青山のギャラリーで3月8日~13日の日程で行われた写真展には、私も1枚写真を出品しました。
それが、山田町で1月9日に撮ったこの1枚でした。
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この写真は、手前の焼け焦げた2本の木と、青空のコントラストを意識して撮影しました。山田町、大槌町、宮城県の気仙沼では津波の後大規模な火災がありました。震災後、山田町に入った父は、黒こげた町の風景が印象的だったそうです。でも瓦礫が片づいてしまうと、火災があったことも分からなくなってしまう。かろうじて火災があったことを伝える2本の木を、写真におさめたいと思いました。

この写真が写真展で展示されたのですが、運営に携わる友人が、次のようなメールを私に送ってくれました。

~~~
写真提供していただいて、ありがとうございます。
青山のギャラリーにて、山田町の一枚だけですが「今の被災地」として展示させていただいてます。
そこでのエピソードを一つ。

昨日(3月11日)の14:30頃、青山のギャラリーに幼稚園~小学校低学年くらいの子供が何人かきました。

話聞いてみると、その子たちは岩手の山田町出身のようでした。

その子は14:46に山田町の写真の前で手を合わせ、お祈りをしていました。



さらに、メッセージボード用のポストイットを見て「お手紙を書きたい!」と言い出し、

まだ平仮名も書けなかったりするのに一生懸命書いてくれました。

そしてどうしても山田町の写真にそのポストイットを貼りたいと言うので写真の下にポストイットを貼りました。

その子は帰るときに「山田町にお祈りできて、お手紙書けてよかった」とすごく満足げ(この表現が正しいかは疑問)に帰っていきました。

その子のお父さんも「学生ががんばってくれてるのはうれしいから、今後もがんばってね」と言ってくれました。
~~~

その時、私の写真に貼ってくれたポストイットがこちら。
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この写真を見て、胸が熱くなりました。
字をかけるか、書けないかという子どもたちが、一生懸命メッセージを書いている。
「いなかはなあんにもない」という言葉も、胸に突き刺さります。

こんなに小さい子供たちが、自分の故郷・山田に対して強い愛着を感じている。
それは、3月11日の震災発生時刻に、山田町の写真に向かってお祈りをした行動にあらわれています。

子どもたちは東京に避難してきているのでしょうか。周りに友達は居るのでしょうか。山田町を離れて、さびしい思いをしていないでしょうか。まちの復興には、まだまだ長い時間がかかります。彼らはいつ、山田町に戻ることが出来るのでしょうか。

子どもたちも不安や寂しさを感じているでしょう。
それでも、私が撮った写真が、彼らの心に数分間でも安らぎを与えていたのなら、それを素直に嬉しく思います。

ちょっとしたことなのかもしれませんが、これこそが、「東京だからこそ、できること」なのだと思います。
そして、東京にいる岩手出身の皆さんに、希望を与えることが、私の「役割」でもあります。

1月9日の山田の空は、抜けるような青空でした。最後はその時に撮った写真を何枚か載せます。

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プロフィール

一般社団法人SAVE IWATE東京支部

Author:一般社団法人SAVE IWATE東京支部
2011年10月に設立。復興応援グッズの販売会を中心に、東京から復興支援活動を行っている。

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